NBSの連載小説 第二弾

 

Episode10 共同防火管理協議会(3月某日・晴れ)

改善計画書を消防署に提出した僕は、各テナントのオーナーに、これから、我が駅前テナントビルをまっとうなビルにしていくための協力をお願いする準備をはじめた。消防設備会社の消防点検や防火対象物点検の日程を待つ間に、少しでも自分でできることを前に進めたかった。毎夜、毎夜、サービス残業をして、僕はテナントに配るための文書を作った。ひとつは、「共同防火管理協議会」を組織することになったお知らせ、もう一つは、「防火管理者選任のお願い」だ。
 共同防火管理協議会は、その建物の防火管理をどのようにすすめていくかを協議する組織で、建物、テナントの管理権限者=オーナーによって構成されるものだ。とはいえ、実際に集まって話し合うというより、すでにあるひな形に沿って、協議事項を定めた文書を作成し、各テナントに配布して確認をとるという形になっているケースが多いようだ。しかし、社長にそのことを報告すると「あら~。集まりましょ。面白いじゃないの」と、ものすごい援護射撃になる企画を考え出した。

防火管理者になった僕 それは、「うまい河豚を食べる会」。社長の行きつけの市内で一番の高級河豚料理屋で、第一回共同防火管理協議会を開くというものだ。もちろん会費は社長もち。「統括防火管理者になってよかった…かも」と、かすかながらであるものの、僕は、はじめて前向きな気持ちになることができた。文書は、「うまい河豚をつつきながら、各テナントのオーナー同士、親睦を深めませんか?」(第一回共同防火管理協議会もいっしょにやります)というようなものになったが、時は、3月初旬。河豚鍋を楽しむにはまだ十分の寒さだ。これで、出席率があがるのはもちろんのこと、今後僕が行わなければならない様々な作業が、格段にやりやすくなることは、容易に想定できた。
 予想通り、4階の変わり者のWEB会社を除いて即座に全テナントから出席の連絡がきた。もっとも、地下のバーのマスターを呼ぶために、塾のイケ面講師も誘うことになったのだが、イケ面は、河豚につられて2つ返事で塾の防火管理者になってくれたのだから、一石二鳥というものだろう。
 
 次なる準備は、「防火管理者選任のお願い」だ。共同防火管理協議会の席で、オーナーに持ち帰ってもらうことになっている。内容は、消防の査察があり、違反事項を指摘されたこと。防火管理者を各テナントごとに1名選任してもらう必要があること。防火管理者には、講習に出席してもらい、防火訓練などにも出席してもらう必要があることなどだ。実は、この文書にからめて、僕はある作戦を考えていた。そう、ひとつだけ出席の連絡がこない(欠席の連絡もきていない)4階のWEB会社に、この文書へのアドバイスをもらうというものだ。「相談されて嫌な人はいない」、僕は長年の営業マン生活で学んだ法則への自信1/3と、きっぱり断られたらどうしよう…という不安2/3を胸に4階に向かった。

 4階のWEB会社は、40がらみの女性が社長で、4~5名のスタッフが出入りしている。WEBだけではなくて、紙のデザインもやっていて、2階の眼科も歯科も、この会社でホームページやパンフレットを作ってもらったと聞いている。入口で声をかけると反応がない。全員外出中か…とドアを押すと、すっとドアが開き、僕はとんでもないものを目にした。
防火管理者になった僕 机の影から女性の足!(事故か!事件か!と、とりあえず119番、110番。あいや、それより、安否確認が先か。蘇生術できたっけ?眼科の先生でもできるんだろうか。ああ、もし亡くなっていたら事故物件になっちゃう。社長!誰か!助けて!)秒速の速さで混とんとした思考が僕の脳みそを走る。その時、「あーすいません」という声が背中から聞こえた。振りかえると、この場面にはまったく似つかわしくない、無愛想な事務服姿の中年女性が、ポットを持って立っていた。(ま、まずい、犯人と思われたら…)と、口をパクパクさせている僕の横をすり抜けて、中年女性は、床に落ちているハイヒールをそろえると、「社長。起きてください。お客さまですよ」と足に向かって声をかけている。「はーい」と、子供のような返事をして、WEB会社の女社長は、机の向こうに座ったようだ(モニターで顔が見えない)。
「あのー、下の駅前不動産の僕ですが…」
「あー。コーヒー!」最後の「コーヒー」は僕に向けられた言葉ではない。事務員に向けられた言葉だ。
「あの…うまい河豚を食べる会のお知らせが行ったかと思うのですが」
「あー。共同防火管理協議会が目的なくせに、河豚でつろうってやつか」。(はい。図星です)
「実は、そこで配る防火管理者選任のお願いを作ったのですが、見てアドバイスをいただけたらと…。お忙しいのにすみません」。女社長は黙って右手をあげた。事務員はそれを合図に僕から文書を受け取り、社長に手渡す。相変わらず顔は見えないが、文書は見てくれているようだ。しばらくして。
「可もなく不可もなく、まぁそれなりの平凡なありがちな…」と歌うようにつぶやく女社長。そ、それって防火管理者になった僕、僕のことじゃないですよね。女社長は、モニターの後ろで「がー」と伸びをすると、ダン!と机に手を床に足を同時について、ぴょんと立ち上がった。目の下の滲んだマスカラが怖い。
「あのさ、これ、防火管理者になってもらうための紙でしょ。なんで、こんなに後ろ向きに書いてるの。そもそも、防火管理者ってそんな嫌なものなの?嫌だって誰に聞いたの?どこが嫌なの?いいところはなんにもないの?」マシンガンのように僕を質問攻めにしながら、机の後ろを左右にのしのしと歩く女社長。僕は、いつの間にか、査察が着たときから今までの顛末をすべて、聞きだされていた。恐るべし、自白強要術…。でも、その質問に答えながら僕は、僕の中の何かが変わるのを確実に感じていた。「いやだ、たいへんだ、めんどうだ」とマイナス面ばかり見ていたが、見る方角を変えたらプラスの面が見えてくるものなのかもしれない…。
 質問がつきると女社長は、ドカンと椅子に腰を下ろし、たばこに火をつけて、中生ジョッキほどもあるマグカップのコーヒーを飲み干した。「んで?いつだっけ?」「へ?」「配る日よ。河豚の日!」「3月0日なんですが…」
「わかった。前の日、11:30に来て。あ、コーヒー!」今度の最後の「コーヒー」は、僕に向けられた言葉だった。だって、そのあとに「まだ出してなかったんだ。ごめん…」と続いたから。

消防豆知識

共同防火管理とは

さまざまな事業所がテナントとして入居している雑居ビルなどでは、複数の管理権原者が共同で防火管理に当たらなければならず。これを「共同防火管理」という。
共同防火管理では、火災発生時の混乱と災害の発生を防ぐため、各管理権原者の相互の連絡協力と建物全体としての一体的な防火管理が必要不可欠であるため、各管理権原者が予め防火管理上必要なことがらを協議し、共同して防火管理をすすめることが義務付けられている。(消防法第8条の2)

◆共同防火管理協議会の役割
各管理権原者が構成員となって協議会を設け、代表者を選任し、ビル全体の防火管理を共同で進めるための協議事項を定め、消防署長へ届出する。

また、協議会により選任された統括防火管理者は、共同防火管理協議事項に定めるビル全体の消防計画を作成し、各テナントの防火管理者は全体の消防計画に基づいて個々のテナントの役割に応じた消防計画を作成する。

◆協議事項の内容
共同防火管理協議会によって協議すべき事項については、消防法施行規則第4条の2によって次のように定められています。
●共同防火管理協議会の設置及び運営に関すること
●共同防火管理協議会の代表者の選任に関すること
●統括防火管理者の選任及び当該統括防火管理者に付与すべき防火管理上必要な権限に関すること
●防火対象物全体にわたる消防計画の作成並びにその計画に基づく消火、通報及び避難の訓練の実施に関すること
●避難通路、避難口、安全区画、防煙区画その他の避難施設の維持管理及びその案内に関すること
●火災、地震その他の災害が発生した場合における消火活動、通報連絡及び避難誘導に関すること
●火災の際の消防隊に対する当該防火対象物の構造、その他必要な情報の提供及び消防隊の誘導に関すること
●その他、共同防火管理に必要な事項

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。