NBSの連載小説 第二弾

 

Episode17 避難器具設置工事(5月某日・晴れ)

我が駅前テナントビルは、消防法上で言う「特定一階段防火対象物」。そのため、一動作で作動する避難器具が必要とされていた。前から取り付けられていた緩降機は、一動作対応ではなく型式も古い。更に、部品などが処分されている階もあったため、全面的にリニューアルすることになった。
消防設備会社の人は、見積もりといっしょに、緩降機、避難はしご(固定はしご)など、避難器具別にメリット・デメリットを示してくれ、最終的に社長決済で「レスキューライン」という避難はしごを取り付けることになった。その理由は、共用廊下に避難器具を置かなくて済むこと。
「あたしたちは、テナントさんに建物の屋内のスペースをお貸ししてるんでしょ。だったら、建物の外より、中のことを気にするのが筋ってもんじゃないの」という社長の判断だった。

防火管理者になった僕「レスキューライン」は、建物の窓などに取り付ける折りたたみ式の避難はしごで、通常5階程度までの建物につけられるのだが、我が駅前テナントビルは、古い建物で、天井高が低いため、取り付けできるとのことだった。火災のときは、どの階からも、窓を開いて、作動レバーを引くだけで簡単にはしごが開き、一度に多くの人がはしごを伝って避難することができるという。ビルを使用する人の安全面からいっても、この避難器具が適しているように僕も思えた。3階は塾で小学生も通っている。ベルトを体に巻き、ロープで下ろす緩降機では、こどもたちが安全に降りることができるか、また、早急に避難が完了するか心配だった。

工事予定日の2週間ほど前、消防設備会社が着工届けを出しに行ったところ、市内ではじめての設備だと、あの笑顔が怖くなくなった消防官が言っていたそうだ。社長は、道楽好き共通のツボで「市内ではじめて」が気に入ったらしく、上機嫌だった。

工事は、ゴールデンウィークに行われた。足場を組むのに1日、設置に1日、足場の解体に1日、計3日の日程が組まれていた。できるだけ営業中のテナントさんが少ない日に工事をしたかったため、休日だが無理を言って対応してもらったのだ。
それでも、年中無休のコンビニ、「ゴールデンウィーク講習で苦手教科克服!塾生大募集中」の塾、どうも一般企業とは違うカレンダーがあるらしく不思議な休みの取り方をするWEB制作会社、そして、休みとは無関係な業種の我が駅前不動産は営業日だった。
工事の朝、出勤すると我が社の紅一点マドンナの様子が明らかにおかしい。いつものオーソドックスなスーツではなく、風に裾が揺れる女らしいワンピースなんぞを着ている。その訳はすぐに判明した。足場を組む作業がはじまると、そわそわしはじめ、10時を過ぎると「お、お茶差し入れしてきます!」といって、事務所を出て行った。あとから僕が様子を見に行くと、足場の下で、マドンナとやっと出勤してきたWEB制作会社の社長。そして、店内で仮眠したと思われる地下のバーのマスターが、足場を見上げて、クスクス笑いをしていた。どうやらこの3人、ガテンな男性が好みらしい。

防火管理者になった僕「見てみてあの上腕二頭筋!あの焼けた肌!きっと腹筋は6個に割れているわよ~」と女社長が言うと、マドンナも大きくうなずいている。マスターにいたっては、完全に妄想の世界をさまよっているようで、ファジーな笑みが顔に張り付いている。
「あ~コホン」咳払いをした僕に目を向けた三人の視線が、僕の生白い顔と、メタボの腹と、パソコン操作をする程度の腕の筋肉という順番で注がれたように思えたのは、きっと気のせいだろう。たぶん。

足場の設置が終わったら、いよいよレスキューラインをビルに取り付けていく、このはしごは、その建物ごとにあわせてつくられているもので、数メートルのユニットごとに「M10」のアンカーボルト2本で、ビルの壁面に固定していくと聞いていた。「M10」が何を指すのか、僕にはよくわからないが、わからない僕にも、一生懸命工事の概要を説明してくれる会社の姿勢に好感がもてた。

防火管理者になった僕 足場が撤去され、工事が完了したすぐあとに、点検が行われた。消防設備会社が、はしごが正常に開くか、アンカーボルトの緩みがないかなどの確認をしているとき、その様子を見ていた僕に、マドンナがとんでもないことを言った。「降りてみないんですか」と…。
 先日の上腕二頭筋比較事件から、なんとなく男のプライドを傷つけられたように感じていた僕は、「もちろんだよ。あのー降りてみてもいですか!」と、消防設備会社の担当者に声をかけてしまった。はずみというものは、実に恐ろしい。マドンナに「じゃ!」と手を振り、軽やかな足取りで、エレベーターに向かったが、6階につくころにはすでにひざが震えていた。
 しかし、恐怖で躊躇っている様子をマドンナに見せるわけにはいかない。僕は上司だ。そして男だ!そんな勢いで、梯子の上部に立ったが、下を見ると頭がくらくらして、どうも足が進まない。そのとき消防設備会社の人が頭の上部からそっと声をかけてきた。「目の前のはしごだけを見て、一段ずつ降りてください」と。

「目の前を見て、1段ずつ」。統括防火管理者になって以来、そうやって、このビルを遵法(適法)にしてきたではないか。「誰かが『なにがなんでもやるんだ』と真剣に思えば、できないことはない。私は、そう思うんですよ。やればできるってね」あの笑顔が怖くなくなった消防官の顔が浮かんだ。そうだ。やればできる。
冷静さを取り戻して、自分が置かれている状況を確認すると、手すりに体がほとんど囲まれる構造になっていて、建物の壁面が背中のすぐ近くにあることも感じられ、にわかに安心することができた。そのあとは、順調に降りていき、最後は2段抜かしで、地上に華麗にジャンプしてフィニッシュを決め、すぐさまマドンナのいた方角を見たのだが…彼女は、僕のチャレンジのことも忘れ、施工会社のイケ面と楽しそうに話をしていたのだった。

消防豆知識

消防用設備等着工届とは

防用設備等を工事に着手するときは、所轄の消防署に届出が必要。(消防法第17条の14)
届出を要する消防用設備等
(消防法施行令第36条の2第1項) 
1屋内消火栓設備 (電源、水源及び配管の部分を除く)
2 スプリンクラー設備 (電源、水源及び配管の部分を除く)
3 水噴霧消火設備 (電源、水源及び配管の部分を除く)
4 泡消火設備 (電源の部分を除く)
5 不活性ガス消火設備 (電源の部分を除く)
6 ハロゲン化物消火設備 (電源の部分を除く)
7 粉末消火設備 (電源の部分を除く)
8 屋外消火栓設備 (電源、水源及び配管の部分を除く)
9 自動火災報知設備 (電源の部分を除く)
10 ガス漏れ火災警報設備 (電源の部分を除く)
11 消防機関へ通報する火災報知設備 (電源の部分を除く)
12 金属製避難はしご(固定式のものに限る)
13 救助袋  
14 緩降機

届出者
甲種消防設備士(上記対象の消防用設備の工事をしようする者)    
届出先 管轄の消防署長
届出方法 「消防用設備等着工届出書」による ※2部提出(1部は返却)

届出時期 消防用設備等の工事に着手しようとする日の10日前までに届け出る。

その他 当該設備に係る設計に関する図書
(1)付近見取図、平面図、立面図、断面図及び仕上表
(2)消防用設備等の設計書、仕様書、計算書、系統図及び配線又は配線図 を、添付。

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。