NBSの連載小説 第二弾

Episode2 立入検査その1(1月某日・晴れ)

消防署からの電話を切った僕は、大慌てで社長の携帯を鳴らした。「ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に…」やけに明るい留守番電話の声が、神経を逆なでする。

「社長。至急お電話ください!」ピーの最後にかぶるような勢いで伝言を残すと、6階の資料室に向かった。探しているのは電話で「揃えておいてほしい」と言われた消防設備関係の書類だ。「ない…」さんざん資料室を探しても、それと思しき書類は全く見当たらなかった。

そもそもこのビルは、3年前に競売にかかり、テナントとしてその前から入っていたわが社が購入した物件なのだ。当時は、空き室も多く、内装・外装もひどいありさまだった。それをリフォームし、テナントを募集し、やっと順調に収益をあげてくれるように育てたのは、他でもないこの僕だった。

前の持ち主は、夜逃げ同然の状態で、引き渡しの時の書類もたいしてなかったし、それが問題だともおもっていなかった。そう今日までは…。

 暖房もない資料室で、これから起こるであろうことを、あれこれ想像しながら、身を凍らせているところに、

「僕ちゃん…?あーこんなとこにいたぁ」とはいってきたのは、他でもないわが社の社長だった。

「しゃ、社長!」

「うん。きいたよ。消防の検査がくるんだってねぇ。ま、仕方ないよ。検査してもらいましょ」

「でも、書類が…」

「僕ちゃん。あんたもこの仕事長いんだから、消防点検の知識は、浅いなりにあるでしょ。ま、結局のとこ、うちがこのビル買ってから、ずーっとやるべきことをやってこなかったんだし…。じたばたしないで、あるがままを見てもらいましょ。おお寒い。早いとこ下に降りたげて。電話やら来店客やらで大騒ぎだから」そう言うと、社長は自慢の蘭の柄のネクタイの位置を、資料室の書庫のガラスで確かめてから、どこかに消えていった。

社長は、僕より1回り半歳上の63歳。地元の大地主の家に生まれ、一族の不動産をわが社が管理している。そのアパートの数だけでも、相当な物件数に上るのだ。社長は、彼曰く「若気のいたり」で会社を興したものの、商売っ気がなく、実務はもっぱら僕が担当。彼は、ゴルフ、乗馬、オペラ鑑賞、男の料理に俳句にどどいつと趣味に生きているのだが、その趣味の土産にときどき大きな仕事を持ってくる。

「あそこの社長がうちに頼みたいっていうから、面倒みてやってね」と。おネエ言葉にすらっとした長身、美しい奥様、そしてうなるような財産。筋金入りの金持ちとは、彼のことを言うのだと思う。

防火管理者になった僕 社長命令により「じたばたしない」ことが決まったといっても、心中穏やかとはいえないまま、立入検査の当日を迎えた。昨日までのうちに、テナントには、消防検査が入ることを伝えてある。地下のバーは、深夜から朝までの営業なので、僕が代りに鍵をあけることになった。

消防査察官は、2人でやってきた。しかも、制服姿だ。「この建物は、ちょっと問題がある建物ですよ」と周囲に言っているかのような気がして、僕は急いで中へ招き入れるため、店の外へ走り出ていった。

片方が年配の温和そうな人物、もう片方は気が強そうな若者。これじゃまるで刑事ドラマじゃないか。と思いつつ、6Fの会議室へ可及的かつ速やかに案内したのだった。

消防豆知識

立入検査とは

「立入検査」とは、消防署管内の防火対象物や危険物施設などに、査察官が立ち入り、建物の構造、設備、管理の状況を、消防法令に基づいて、検査を行うもの。通常は、予告の電話などがあってから、検査に来ることが多いが、まれに予告なく来る場合もある。

検査の主な内容:消防関係の書類、防火管理体制、避難通路・避難口の状況、消防用設備等の維持管理・点検の状況、届出が必要な物件の有無 等

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。

物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。