NBSの連載小説 第二弾
Episode9 改善計画書の提出(2月某日・晴れ)
立入検査から10日目、提出期限より4日も早く、改善報告(計画書)が完成した。しかも、改善「報告」ができるものが、2項目ある。僕は、開店後の忙しさが落ち着くと、さっそく消防本部に向かった。
消防署に来るなんて、何十年振りだろう。たぶん小学校の時の見学以来ではないだろうか。あの時、消防官に銀色のヘルメットをかぶせてもらった同級生がうらやましくって仕方がなかったっけ。消防車の運転席に乗せてもらったり、酸素ボンベを背負わせてもらい重さを確かめている子もいたっけ。消防署に火災の通報をする体験をしたのは、学級委員のみっちゃんだった。元気かな?みっちゃん。みんなの前に出ることができず、消防車の後ろについている銀色の梯子をそっと触っていた僕を、「乗ってみるか」と後ろから抱きあげて、タラップの上にあげた消防官の大きな手の感触がにわかに蘇ってきた。
懐かしいこども時代の記憶へしばしタイムスリップしていた僕は、訓練中の消防士の大きな掛け声で、はっと現実に引き戻された。目をあげると、ビルに見立てた高い足場から、消防士たちがロープをつかって忍者のように降りる訓練をしていた。見回せば、訓練や車両の整備に励んでいる消防士たちは、自分よりひと回りどころかふた回りも若くみえる。とりわけ若そうな華奢な背中に、予防課の場所を聞こうと声をかけると、振り向いたのは、なんと女性消防官だった! そう、時代は変わった。無邪気であることが許される歳ではない。責任がある大人なのだ、僕も、そしてどこかで年を重ねたみっちゃんも…。
予防課では、あの笑顔の怖い年配の消防官が、あの時より更に愛想のよい満面の笑顔で僕を迎えてくれた。
「いやぁ、早かったですね。お忙しい時期なのにすみません」カウンター越しに僕に椅子をすすめる。カウンターの幅は、意外と狭い。「いえ、こちらこそ」と、営業スマイルを浮かべながら、僕は胸倉を掴まれない位置に慎重に椅子を移動させて腰を下ろした。
「せ…先日は、お忙しい中、ご来店…いや、立入り検査におこしいただきありがとうございました。こ…こちらが、改善計画になります」。
駄目だ。この人の前では、いつもの水の上を滑るような営業トークが、まるででこぼこ道を走る自転車のようだ。そう、この人に営業トークは通じないのだ。そのことを、意識の奥でわかっているからこそ、無理に繕う言葉がつまづいてばかりなんじゃないか。そう悟った瞬間。ふっと緊張感が解けて行った。
「実は、統括防火管理者になることになりまして…まだ、改善できている項目はないに等しいんですが、ビルを使う人のためにも、わが社の社長のためにも、これからなんとかまっとうなビルにしていきたいので、ご指導よろしくお願いします」素直な気持ちが口をついて出てきた。
改善報告(計画)書のページを忙しくめくっていた消防官は、僕の言葉を聞くと手をとめ、ゆっくり目をあげた。微笑んでいる。いつものような、大げさな笑顔ではないが、目まで笑っている本物の笑顔だった。
「僕さん。この10日で2つも改善できているじゃないですか。テナントさんとの交渉は、大変だったでしょうね。他のビルでも、テナントが協力してくれないことが、大きな障害になっています。でもね。誰かが『なにがなんでもやるんだ』と真剣に思えば、できないことはない。私は、そう思うんですよ。やればできるってね」
やればできる。うんきっとそうだ。
予防課とは
火災などを未然に防いだり、災害が起きた時の被害を最小にするために、指導調査などを行う、消防本部の組織のひとつ。呼称は各自治体によって異なる。
自治体の条例などによって若干の違いはあるが、概ね共通している主な分掌事務は、
●火災予防の企画及び指導に関すること。
●建築確認の同意に関すること。
●防火管理者の指導及び育成に関すること。
●消防用設備に関すること。
●防火対象物の査察、調査及び改修指導に関すること。
●危険物製造所等の許認可及び諸検査に関すること。
●液化石油ガスに関すること。
●火薬類取締法(昭和25年法律第149号)に基づく許可その他同法に基づく事務に関すること。
●危険物取扱者の指導及び育成に関すること。
●消防法(昭和23年法律第186号)に規定する火災予防又は消火活動に重大な支障を生ずるおそれの
ある物質の貯蔵及び取扱いに関すること。
●危険物製造所等の査察及び調査に関すること。
●防火協力団体に関すること。
●前各号に掲げる違反対象物の改修指導に関すること。
など。
■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。