NBSの連載小説 第二弾

 

Episode8 ザ・ネゴシエーター(2月某日・晴れ)

翌朝、重症の二日酔いに見舞われた僕は、隣のコンビニで買った液状胃薬を、その場でうなだれて飲んでいた。英語もろくにできない僕が、一筋縄ではいかない外国人に、どうすれば事情を説明できるのだろう。どん底の気分だった。
「おはようございます。僕さん。二日酔いですか?」そう声をかけてきたのは、3階の進学塾の講師だった。進学塾には、たくさんのアルバイト講師がいるが、彼は正社員で塾長の代わりに事務などもこなしている。この間、契約更新の書類を持って行った時は、たくさんの女生徒に囲まれて、質問に答えていた。やっぱりイケ面は得だなと思ったっけ。ちょっと待って、なにか大事なことを忘れているぞ。そそそうだ!彼が生徒の質問に応じていた教科は、英語じゃないか!
「先生!ちょっとお願いがあるんです!」店を出ていこうとする塾講師を僕はあわてて呼び止めた。振り返った彼のサラサラの髪を朝日の逆光がオーラのように縁取り、笑顔からこぼれる白い歯がまぶしく光る。うん!彼ならきっとあのマスターを説得できるに違いない。
僕の予想通り、その夜送り込んだネゴシエーター(塾講師)の説得で、マスターはあっけなく、防火扉の前の酒瓶のケースを撤去した。「とてもいい方でしたよ。『断られると僕の立場がなくなる』と言ったら、『Youのためなら』とすぐに撤去してくれました。それに、同じビルに入っている仲間だから、いつ来ても無料で飲んでいいって。今夜も行っちゃおうかなぁ」と無邪気に話す講師…いや、あまり深入りしない方が…。

防火管理者になった僕
2つ目の改善は、避難経路に使う廊下の障害物。2階のクリニックフロアだ。この階には、中央の通路をはさんで、歯科と眼科が入っているが、どちらも評判がよく、いつも通路まで患者が溢れている。院長同士仲が良く、ゴルフなどにもいっしょに行っているらしい。その仲の良さからなのか、通路に溢れる患者さんという課題を、一致団結して解消していた。そう。通路を共通の待合室にするという形で…。最初は、折りたたみの椅子がいくつか置いてある程度だったのだが、いつの間にかマガジンラックやソファーも置いてあり、完全に避難器具の前を塞いでいた。もっとも、この避難器具も満足に作動するかどうか…。それはさておき、この使い方は改めてもらわなければならない。僕は、2人の院長に消防署の立入検査で、指摘されたことを正直に話し、なんとか協力をしてもらえるようお願いした。
「あは。やっぱだめか」、「いいアイデアだと思ったんだけどね」。本来賃貸スペースではないところを利用していた気まずさもあり、2人ともすんなり撤去に応じてくれた。
「ありがとうございます!そ、それと、各テナントさんごとに、防火管理者を設置しなければならないんです。その人選もよろしくお願いします」、これには大ブーイングが起きた。「ええ~困ったなぁ。うちら、パートさんしかいないもん。なかなか協力してくれないと思うよ~」。
 その時脳裏に浮かんだのは、やはりあの3階の進学塾のイケ面先生の朝日に輝くさわやかな笑顔だった。”ザ・ネゴシエーター”彼にはなんとしても防火管理者になってもらわなければ。

消防豆知識

防火戸とは

火災の時、延焼や拡大を防いだり、避難経路を煙などから遮断するために開口部に設ける扉のこと。
建物を一定の面積で区切った防火区画の開口部に設ける特定防火設備(旧甲種防火戸)と、隣接建物への類焼を防ぐために外部開口部に設ける防火設備(旧乙種防火戸)があり、その厚さや材質は、建築基準法によって定められている。
防火戸には、常に閉まっている「常時閉鎖式防火戸」と、通常時は開いた状態になっている「常時開放式防火戸」があり、「常時開放式防火戸」は、煙感知器や熱感知器が、煙や温度の上昇を感知したときに、火災警報設備などと連動して作動する。そのため、防火戸の閉鎖・作動を妨げるような、物を置いたり、閉まらないように固定したりする行為は違反。新宿歌舞伎町の雑居ビル火災を教訓に罰則も強化されている。

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。