NBSの連載小説 第三弾 僕シリーズについて
Episode 9 失敗しない職人
「メス」
「(ピシッ)」
「鉗子」
「(ピシッ)」
女医の指示に応じて、正しい道具を的確な角度と握り位置で渡す看護師。顔は映らないが優れた技術者をサポートする緊張感が、全身にみなぎっている。
冬のボーナスで買った4K対応49型液晶テレビいっぱいに、女医の横顔が映し出される。まったく感情が読み取れないが、目だけがやけに澄んで輝いている。深く集中した人が見せるこの表情を僕はよく知っている。
「アッペン」
「…(?)…」
「ワニグチ」
「…(??)…」
「メガネ」
「…(???)…」
「(怒!)」苛立っているのは、工事部門の長、NBSでは最も高い技術を持つ先輩だ。
この日は、新築マンションに照明設備を取り付ける工事をしており、僕は先輩の「手元」をさせてもらっていた。手元とは、工事を行う技術者に部材や工具を渡すアシスタントで、手伝いをしながら作業手順や技を学ばせてもらう文字通り「見習い」の仕事だ。そう、消防設備士になった僕が次に挑戦する資格は、第2種電気工事士。消防設備を整備する上でも役立つ資格であり、その他の設備の工事やメンテナンスにも必須となる資格なのだ。
消防設備点検に加え、工事の現場にデビューさせてもらえることになったのは、そんな僕の資格への挑戦を助けるため。しかし、現場は甘くない。最小限の言葉で次々と出される指示に、的確に応じることができず、僕は自己嫌悪に陥っていた。
まず、道具や部材の名前(というか業界的な呼称)と現物を適合させることができない。物を特定できた場合でも、渡し方がわからない。先輩の頭の中に並んでいる手順に合わせて、阿吽の呼吸で必要なものを使いやすい方向で差し出すのが手元の役目だとはわかっているが、噛み合わないジッパーのようなチグハグなやり取りが続いていた
「す、すみません」
脚立から降りてきて、自分で道具を持ちかえた先輩の背中に頭を下げるが、先輩は口でも表情でも何も言わず、次の作業に戻って行った。先輩にとっては、工事にかかる時間も「腕」のうち、僕に頼むより早ければ迷いなく自分で取る方を選ぶ。
「私、失敗しないんで」
テレビドラマの女医と先輩の横顔を重ね合わせて、ぼんやりと先週の現場の苦い回想にふけっていたとき、女医が決め台詞を放った。
「当たり前じゃないか…」。失敗が許されないのがプロなのだ。医者の場合は、一か八かの外科治療に踏み切る場合があるかもしれないが、人の暮らしに関わる建物の設備に失敗があっていいはずがない。先輩がいかに真剣勝負で仕事をしているかを想うと、一日も早く役に立ちたいという気持ちが強く湧き起こってきた。
翌朝、僕は、先週の現場の手順通りに、使った道具や部材を先輩に手渡す方向でスマートフォンのカメラに収めていた。こうしておけばいつでも見返すことができる。最後の工具を撮ろうとしたとき、カメラの視界に分厚い職人の手が入ってきた。
「こう渡してくれたほうがいいかな」
驚いて目を上げると、「失敗しない技術者」である先輩が僕の方を見て、目がなくなるくらいにっこりと笑っていた。
この日から、僕は手元としての役目を果たすため、現場の行き帰りの車の中などで、先輩に積極的に質問するようになった。また、手順をおさらいすることでできた余裕で、どんな風に施工が行われるのか、先輩の手元をしっかり観察することもできるようになった。職人の世界でよく言われる「盗んで覚えろ」とは、こういうことなのだ。
真剣勝負の現場では教えてもらうことはできないが、帰社後には、先輩方の指導のもと、電気工事士の技能試験のための特訓もはじまった。また一歩、自分の仕事を確かなものにするための挑戦が刻一刻と近づいていた。
■このコンテンツは、特定のスタッフを描いたものではなく、全員の経験をもとに書き起こしたフィクションです。NBSの社風に関しては、かなり忠実に描いています。