NBSの連載小説 第二弾

 

Episode15 点検結果報告書の提出(4月某日・晴れ)

僕の街の消防署は、決して新しいものではない。元はクリーム色だった外壁も、年とともに汚れ、色あせ、灰色がかって見える。しかし、一歩中に入ると、古くても、きちんと手入れをされてきた建物だということがよくわかる。ピカピカと光る階段の手すりやドアノブ、清掃が行き届いた床、壁のポスターまでも、きちんと並行に、等間隔で並んでいる。不動産営業マンの職業柄なのか、どんな建物に入っても、僕の目は、自然と管理状況をチェックしてしまうのだが、この建物の場合は、文句なく「たいへんきれいにお使いです」の宣伝文句をつけられるだろう。

 僕が、消防設備会社から受け取った「消防用設備等点検結果報告書」と「防火対象物点検結果報告書」を提出しに行った日は朝から雨が降っていた。ビニールタイル貼りの床に、足跡ひとつついていないことに感心しながら、廊下を進んでいくと、誰かが「僕さん!」と声をかけてきた。
目を上げると、階段下の自動販売機の前に、あの笑顔の怖い年配の査察官が立っていた。しかし、「満面の笑みを浮かべながら目だけ真顔」という背筋が凍る表情は影を潜め、普通の親しげな表情を浮かべていた。
「点検が終わりまして、報告書を持ってきました」。噛まずに普通に答えられる自分に驚く。

防火管理者になった僕
「ちょうど休憩時間なんですが、すぐ行きますので、先に上がっていてください」と査察官に言われ、僕は、前回座った予防課のカウンターの前に腰を下ろした。カウンターの向こう側から、別の消防官が応対に出ようとしたが、僕を追いかけてあがってきた年配の査察官に気づき、半分浮かせた腰をおろした。視線は、僕の背後の査察官に向けたまま、ちょっと驚いたような表情を浮かべている。
僕の頭越しに、2人が無言のまま意思を疎通させているような気がして、振り返ると年配の査察官は、やや照れた顔をして、手に持っている紙パック飲料を差し出した。
 「いや、間違えて買ってしまったもので…よかったら」
 「これはどうも…ありがとうございます」と受け取ったのは、ピンクのバックにイチゴのイラストが描かれた「イチゴ牛乳」だった。パッケージに、何枚か集めると応募できるキャンペーンシールがついている。

防火管理者になった僕 査察官は、一度自分の席(と思われる場所)に戻り、引き出しをばたばたやって、「駅前テナントビル」の資料や手帳やめがねケースなどを持ってくると、僕が既にカウンターの上に出しておいた点検結果報告書に目を通し始めた。
 僕は、恐らくこどものとき以来になるイチゴ牛乳をしげしげと眺めていたが、せっかくなので、ストローを刺して飲み始めた。こどもの頃に記憶した味よりはだいぶ甘さが抑えられているが、イチゴの懐かしい香りがなんだかとてもとてもやさしくて…。「懐かしい味ですねー」と大げさに感動して見せたのは、予期しなかったまぶたのウルウルをごまかすため。それは、査察官のメガネケースの内蓋に、僕が今飲んでいるイチゴ牛乳についているものと同じ、キャンペーンシールが几帳面に貼ってあるのを見つけてしまったからなんだ。休憩時間に飲もうと買った飲み物を僕に分けてくれたに違いない。厳しくてやさしい…ふと、はじめて社会人になったときの上司の顔が浮かぶ。とても「おっかない」部長だったが、最初に契約を取って来た時は、涙を浮かべて喜んでくれたっけ…。「よくやった。よくやった」と居酒屋で何度も背中を叩かれたな…。
「僕さん…僕さん?」
「は、はい!」査察官に呼ばれて、僕は思い出の世界から呼び戻された。
「正直、この期間でここまで進むとは思っていませんでした。本当にお疲れさまでした」
「いや、まだ完璧とは言えません。各テナントの防火管理者のなり手も決まっていますので、今日、次回の講習の申し込みをしていきます。講習が終わり次第、『防火管理者選任届け』と消防計画をお持ちします。それから、すぐに避難訓練を行う予定です。それに来月には、避難器具の設置工事も行いますので、設備的にも、ご指摘いただいたところは、直るかと思います。」
「それはそれは…本当によくやれましたね」と目を細めている査察官に、防火管理者のなり手がどんな面々なのか、僕は言わないでおくことにした。 


消防豆知識

消防用設備点検とは

火災が発生したときの延焼防止や避難、消火活動に使用される消防用設備等は、いつ火災が発生しても確実に作動するよう、日頃の維持管理が十分に行う必要がある。 そのため、消防法により消防用設備等の点検及び適正な維持管理を行うことが防火対象物の関係者(所有者、管理者又は占有者)に義務づけられている。
点検の種類と内容
○機器点検(6ヶ月に1回以上)
 ・非常電源又は動力消防ポンプの正常作動
 ・機器の正常な配置、損傷等の有無など
 ・機器の機能について外観又は簡単な操作の判別
○総合点検(1年に1回以上)
 機器の全部又は一部を作動させ、総合的な機能を設備に応じ確認
点検をする人
○消防設備士又は消防用設備点検資格者が行う点検
 ・延べ面積1000㎡以上の防火対象物
 ・特定用途(遊技場、飲食店、病院・診療所、旅館、スーパーなど)が3階以上の階
  又は地下にある場合で、地上に直通する屋内階段が1つの防火対象物
○上記以外の防火対象物に設置されている消防用設備等の点検
 ・専門知識を有する消防用設備士、消防用設備点検資格者が望ましいとされるが、
  防火対象物の関係者(所有者・管理者・占有者)又は防火管理者なども行う
  ことが法令上は可能
報告する場所
防火対象物の関係者(所有者・管理者・占有者)が、その対象物を管轄する消防署長へ点検結果を記入した点検結果報告書及び消防用設備等点検票をそれぞれ2部(正・副本)直接提出
 ※受付後、1部(副)は返却される
報告期間
○1年に1回…飲食店、百貨店、旅館、ホテル、病院などの特定防火対象物
○3年に1回 …共同住宅、学校、工場、倉庫、事務所などの非特定防火対象物


サイト内関連情報→ 消防設備点検

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。