NBSの連載小説 第一弾

Episode 6 消防設備はみんなの設備(6月某日)

僕のマンションは海辺の街にある。「ベランダから海が見えるんです」と言えることが、僕の密かな自慢だ。前に建つ棟と棟の間ではあるけれど、「海がそこにある」と実感できる生活に僕は憧れていた。実際に住んでみれば、風が強いし、窓は潮風ですぐに汚れるし、自転車は錆びるし、あまりいいことはないのだが、そんなことをぼやくことさえも、僕にとっては一種のヨロコビだったのだ。
 管理組合の理事という立場になると、そんな悠長な自己満足にひたっているわけにはいかない。錆びたものは、直していかないと致命的なことになりかねないのだ。先月の消防設備点検では、錆びた避難はじごの他に、1Fにとりつけられた消火器BOXの錆びがかなり進んできていることを指摘された。確かに海からの風が直接吹き付ける場所にとりつけられた消火器BOXは、ひどいありさまだった。消防設備点検・保守をしている会社は、ステンレス製、プラスティック製、FRP製の消火器BOXに変えた場合の見積もりとカタログ、各素材のメリットデメリットを比較したわかりやすい表を作ってくれた。プラスティク製は安いがもろい、ステンレス製は長持ちするが高い、FRP製は、値段も手頃で丈夫というような内容だった。

 理事になった4月から、管理組合の理事会は、月に1度のペースで開かれている。普段は、総会で承認された年間計画に沿って、それぞれの理事がそれぞれの仕事を行っているのだが、計画を変更したり、予算を使う場合は、理事会にはかる必要がある。もちろん終了した計画の報告もするし、”検討事項”として申し送られている事柄に関しては、情報収集を行って資料を用意するのはもちろん、理事会で話し合いをリードしなければならない。僕は、「ベランダの避難はしごの改修」「住宅用火災警報器」「消火器BOXの付け替え」など、たくさんの議題を抱えて就任3度目の理事会に望んだ。
 普段はくだけた表情の理事たちだが、理事会がはじまると、社会での顔が見え隠れしたりする。理事長は、今はリタイヤしているが、現役時代は辣腕の企業戦士だったのだろう。営業本部長と言ったところか。つい脱線しがちな会議をむだなくテキパキと仕切って行く姿が、僕の上司と重なり、先週、会社のコスト削減会議で、僕の出した案がいとも簡単に撃沈させられた苦い思いがよみがえって来る。
「僕君、君はいいと思っているかもしれないが、これでは社員の理解が得られないよ。コスト削減で仕事の効率ががくっとさがったら、意味がないだろう。うちの会社の業務はコスト削減じゃないんだからな」
 会社の業績をあげるためにコストを削減するはずなのに、コスト削減そのものが目的になってしまっていることを鋭く指摘され、僕はしばらく凹んでいた。そう目的を見失ってはいけないのだ。
 
 理事たちが順番に自分の案件を話し、いよいよ僕の番。僕は、消防設備会社が用意してくれた資料をもとに、先月の消防設備点検の報告と、不良箇所の説明を行い、消火器BOXについては、消防設備修理・保守費として総会で承認されている予算の範囲内で、いたみがひどいものからFRP製に付け替えて行くことで承認を得た。また、9月の第一日曜日の防災訓練前に防災用に備蓄品のチェックをするようにという宿題が出た。

 そして、 いよいよ今年度の2大検討事項の検討に入った。
「住宅用火災警報器の設置」は、消防法の改正で義務づけられたもので、僕が住んでいる市では2008年までに設置しなければならないらしい。そこで今年中に検討し、来年設置工事を行うことになっている。
僕は、消防設備会社から3つケースがあることを教えてもらっていた
1.住宅用火災警報器が設置されていない家に自費で設置してもらう
2.住宅用火災警報器が設置されていない家の台所のみ管理費で設置し、
 他の部屋は自費で設置してもらう
3.全ての住居に必要な火災警報器を管理費で設置する
僕のマンションの696戸のうち、火災報知設備がついているのは、11階から上の96戸のみ。階下で火災予防ができれば、上階の家も安全になるわけだし、管理費で行うのが妥当だと僕は思う。自費で設置してくれと言っても、一部の住民の同意が得られない可能性もあり、みんなの安全が確保できるか不安もある。「各戸に火災警報器を設置して消防法をクリアすることが目的ではなく、みんなの安全を守るのが消防設備の役目なんです」と、僕は難色を示す一部の理事を説得した。理事長が、僕を見てうなずいてくれ、上司にほめられたときのような気分になった。

避難はしごも同じように、みんなの安全を確保するために、管理費で改修することが理事会で承認された。ただし、こちらの改修は、来年に予定されていたが、思ったよりも錆の浸食が進んでいるため、予算を前倒しして、今年度に改修することになった。

理事会で承認されたことは広報に掲載され、翌週全戸に配布された。

■このコンテンツは、NBS取引先の管理組合、自治会の理事・役員の方のアドバイスを受けて制作しています。物語はフィク
  ションであり、より内容の濃い情報を提供するため、理事の活動をデフォルメしています。ご了承ください。