NBSの連載小説 第二弾

 

Episode16 人を守るのは人(4月某日・晴れ)

防火管理者になってもらうためには、講習会を受けてもらわなければならない。僕は甲種防火管理者講習を受けるため、一足早く受講をしたが、2日間まるまる消防署の机に縛り付けられるのは、正直言って楽しいものではなかった。各時間ごとに予防課の消防官が講師を勤めてくれるのだが、話し始めてわずか数分で受講者の1/3に一斉に睡魔をもよおさせる技の持ち主もいて、僕の後に受講する我が駅前テナントビルの各テナントの防火管理者たちが、どれだけ持ちこたえることができるか、大いに疑問だった。しかし、あの年配で、笑顔が怖くなくなった、そして僕にイチゴ牛乳をくれた査察官の授業は、統括防火管理者として、たいへん興味深く、また話術も巧みで、僕も思わず身を乗り出して聞いてしまった。

「みなさんの中には、例えば上役の人から命令されてしかたなくこの場にいる人もいるでしょう。また、たくさんのテナントさんをまとめなければならず、どうしようかと思っていらっしゃる方もいると思います。ですがね。どうかこう思っていただきたい。これは、チャンスです。消防設備やら防火管理やら、よくわからない、めんどくさいことが、わかるようになるチャンスです。他の多くの人にはできない体験じゃないですか。それに、めんどうであっても必要なことを行うことで、ビルを使う方全員の安全を守れるのです。人を守るのは、設備以前に、人。そう、みなさんの意識の変化からはじまるんだと思います。強い意志を持ってあたれば何もできないことはありません。私は、そうした事例を知っています」
そう言ったとき、査察官の目がまっすぐ僕に向けられ、僕は思わず背筋を伸ばした。

防火管理者になった僕 週明け、僕はテナントの防火管理者たちが受講する「乙種防火管理者講習」の前日に、「強い意思をもって」、各テナントを回り、明日は必ず受講に来るように念を押して歩いた。最も心配なのは、地下のバーのマスターとコンビニのアルバイトだった。バーのマスターは、店を閉めてから、家に帰らず店内で仮眠をとって、消防署に向かうとのことだったので、僕が車で送っていくことにした。コンビニのアルバイトには、絶対に絶対に絶対に時間に遅れないようにと、彼の表情が限界の危険度に達するまで、しつこく繰り返した。あともう1回言ったら殴られていたかもしれない…。

 「9時から受講ですから、20分前に消防署の前で待ち合わせですよ。8:40ですよ。明日ですよ。雨でもきてくださいね」あれだけ何度も言ったのに、待ち合わせの時間に、コンビニのアルバイトは来なかった。「おいおいやっぱりかよ~」僕は、内心はらはらしながら、彼の到着を待っていた。全員受講してもらわなければ、防火管理者未選任の項目を改善することができない。彼が来ないために、次の受講まで待たなければならないのは御免だった。査察が入って以来、我が駅前テナントビルが「適法」でないことが、僕の気持ちを時々不安に陥れる。もしも、その間に火事でも起きたら一大事だ。

 僕があきらめかけたそのとき、コンビニのバイトが全速力で走ってくるのが見えた。「すみませ~ん」と誤りながら、そして耳に無数につけたピアスと腰につけたチェーンをチャラチャラ言わせながら、一生懸命走っている。僕らの前に来ると、「お…待たせ…して…すみま…せんでした。昨日…遅番の子が…熱を出したもんで…替わりに店に…入ってました。朝は忙しくて抜けられなくて…」。息を切らしながら、説明する彼の寝不足で充血した目を見て、「こう見えてもまじめだから」と言った店長の言葉がよみがえった。

防火管理者になった僕アナーキーな外見だけれど、本当はやさしくてまじめなのだろう。全員そろった我がビルの防火管理者を講習会場まで送りながら、僕はなんだかちょっとうれしかった。夜勤明けなのに、あんなに一生懸命走って、それにあんなに一生懸命謝ってくれて…「いまどきの若者」も捨てたものではないではないか。
もっともあとから4階の設計事務所の防火管理者に聞いた話では、例のバイト君は、講習会が開始するや催眠術の使い手の予防課の消防官の声に撃沈。資料を枕に、最初から最後まで、ぶっ通しで爆睡していたということだったが…。

防火管理者になった僕講習会が終了したあと、僕は即座に各テナントに防火管理者選任届を書いてもらった。集まった届けをしげしげと眺めながら、僕は、最も大きな関門を越えたことを実感した。「人を守るのは、設備以前に人」ならば、守る「人」を選ぶことが、実は一番大事なのかもしれない。

この人たちの多くが、自分から興味を持って、防火管理者になってくれた訳ではない。講習を受けてもらったものの、自分にどんな責任があり、どんな仕事を行っていかなければならないかも良く理解していないかもしれない。でも、これから避難訓練などを行ううちに、みんなの意識・知識が高まっていけばそれでいい。

あの査察官が講習で要ったように、防火管理者になるのは、チャンスなんだ。貧乏くじを引いたと思ってやったとしても、しなければならないことは、おんなじならば、「チャンス」と思ったほうがいいに決まっている。

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。