NBSの連載小説 第二弾

 

Episode18 自衛消防訓練(5月某日・晴れ)

避難器具の設置も終わり、立ち入り検査で指摘された違反事項は、消防訓練の未実施のみとなった。訓練なのだから、通常の営業時間に行うのが望ましいのだろうが、お客さんや塾生、患者さんなど、ビルに出入りしている人にも協力を頼むのは難しい。各テナントと協議した結果、歯科と眼科が午後の休診時間中で、なおかつ塾に子どもが来ていない時間で、さらに地下のバーのマスターが正気を取り戻す時刻で、その上我が駅前不動産の定休日(涙)にあたる水曜日の14:00に、3階の給湯室から出火したという想定で、訓練を行うことになった。訓練の内容は、火災発見、警報器作動、通報、初期消火活動、避難までの流れを総合的に行うもので、コンビニを除き、その時間にビルにいる人全員の参加をお願いしていた。
 訓練の口火を切るのは、3Fのイケメン塾講師の担当だ。彼がまず3階の非常ベルを押し、「火事だ~!」と叫ぶのだ。消防訓練の打ち合わせの段階から、彼は妙に乗り気で、細部のデテールまでこだわった火災発生から避難までのシナリオを起こしていた。もちろん彼の脳内で。
防火管理者になった僕「火災は、そーですねぇ、給湯室のコンロから、燃え広がるのは、ちょっと考えにくいなぁ…う~ん、そうだ!ごみ箱から発生したことにしましょうか!吸い殻の不始末が原因なんていうのは、どうです?実際、喫煙者のバイトが給湯室でたばこを吸っていることもありますし。ああ、もちろん直接ゴミ箱に吸殻を捨てるなんてしていないんですけどね。ま、今回は、消えていると思って捨てた吸殻が、ごみ袋の中で燃え始めて、そして、となりの古新聞に燃えうつる!そこに私が通りかかる。う~ん。なんで通りかかるかが問題ですね。14:00でしょ。トイレっていうのもなんとなく格好が悪いし…」(いや、そこまでこだわる必要ないから…)
「…そうだ、コンビニへカラーコピーでも取りに行くところとしておきましょうか。火災を発見した私は、まずベルを押し、雄々しく初期消火をはじめる。ああ、僕さん、通報のときは、やや焦った口調でお願いしますよ。初期消火で煙を吸った私は、火を消し止めるもののダメージを受け、誰かの肩をかりてエントランスに出てくる。そこに沸き起こる拍手…」とめどなく広がる彼の想像の世界。完全に「ヒーローごっこ」の乗りになっている。(ああ、彼だけはまともだと思っていたかった…)とはいえ、迷惑がられる訓練に乗り気な人がいるのは悪いことではないはずだ。

訓練当日、直前に、イケメン講師は、ブルージーンズに白のTシャツという彼的なヒーロー衣装に着替え(朝見かけたときはスーツ姿だった…)で僕の店に顔を出し、「じゃ、これから押しますから♪」と知らせにきた。僕はその背中を見送りながら小さくつぶやいた。「3・2・1、アクション!」

防火管理者になった僕塾のイケメン講師の10分の1くらいのテンションではあるが、警報が鳴ると、それぞれの防火管理者が、自分の役割を果たし、階段を使ってビル内の人を無事避難させた。その後、防火管理者+有志が屋上に集まり、消防設備会社の人たちの指導で、駅前テナントビルに設置されている設備を学んだり、消防署への通報の仕方を順番にやってみたり、水消火器を使って消火訓練をしたりした。
最後に、つけたばかりのレスキューラインを作動させ「降りてみたい方いらっしゃいますか?」と消防設備会社の人が周囲を見回したとき、僕はあわてて携帯電話が鳴ったふりをした。他の人たちも突然、空模様が気になりだしたり、自分の靴に興味をひかれたり、時間を確認したくなったりしたようだった。

防火管理者になった僕「いらっしゃいませんか?」、「……」。そのとき、屋上のドアが開いて、WEB会社の女社長が、ふらりと姿を現した。「へー、こんな風に開くんだぁ。よく出来てるわよねー」。みんなの視線が女社長に集まる。「え?何?」、「降りてみませんかと聞かれたところだったんですよ」と僕が説明すると、社長は首をブンッと振って、「私は高いところが苦手なの」と、拒否したものの「…いや、待てよ。こんな経験なかなかできないかもしれない…そうよきっと貴重な体験だわ…やるわよ。やればいいんでしょ!」。
せっかくなので、僕たちは、降りてくる様子がよく見える1階で、彼女の挑戦を見守ることにした。

女社長は、最初は順調に降りはじめたが、5階あたりで急に動かなくなってしまった。遠くを見つめてぼーっとしている。「あれ?」「どうしたのかな?」と、階下で見守るギャラリーがざわめきはじめ、WEB会社の事務員が悲痛な声で「しゃ、社長ぉぉぉ!」叫んだ。「だ、大丈夫ですかー!」と僕や消防設備会社の人も焦って声をかける。その声で、女社長は自分が何をしていたか思い出したらしく、下を向いて僕らに手を振って、空を指差した。

防火管理者になった僕 社長が指さす方角を振り返ると、すっかり初夏の色になった空に、飛行機雲がくっきりと描かれていた。その先端では、飛行機が太陽に翼を輝かせながら、緩やかな右肩上がりの角度で、ぐんぐん白線を伸ばしている。まるで僕らの意識の変化を表しているかのように…。
「今日の反省会は、生ビールがおいしいところがいいと思う人!」
僕らが空を見上げている間に、降りてきた女社長が、背後から声をかけてきた。振り返ったほぼ全員が、賛成の挙手をしていたのを見て、僕は一気に肩の荷が軽くなったのを感じた。個性的な面々ばかりだが、僕らはきっとこのビルの防火管理を和気あいあいとやっていけるに違いない。


消防豆知識

自衛消防訓練とは

消防訓練は、オーナーなど管理権原者に対する義務として消防法で定められているほか、防火管理者の責務のひとつになっている。(消防法第8条1項、消防法施行令第4条第3項)
訓練回数
多数の人が出入りする病院や百貨店・スーパーマーケットなどでは、年2回以上の避難訓練、消火訓練の実施が義務付けられている。(消防法施行規則第3条第11項)
※消火訓練は、年1回以上放水訓練を行う。
届出

事前に届け出が必要
届出先
管轄の消防署長
届出方法
「自衛消防訓練通知書」による ※2部提出(1部は返却)

訓練内容
【通報・連絡訓練】 119番の通報のしかた、放送設備の使い方など

【消火訓練 消火器や屋内消火栓の使いかたを覚えたり、実際に使用したりする訓練。
【避難訓練】 階段など避難経路を使って安全な場所まで避難。また避難器具などの使い方を学ぶ。
【地震想定訓練】 地震のときの出火防止やとじ込められた人の救出のしかたなど。
不特定多数の人を収容する防火対象物では、帰宅困難者に対しての地震の状況及び交通機関の状況などを情報提供する訓練を行う。
【総合訓練】 火災等を想定し、自衛消防組織に基づく任務に従い、火災の発見から到着した消防隊への情報提供まで総合的な活動を行う。

■このコンテンツは、NBS取引先の不動産会社、防火管理者の方、テナントの方のアドバイスを受けて制作しています。
物語はフィクションであり、より内容の濃い情報を提供するため、防火管理者の活動をデフォルメしています。ご了承ください。